大人から変わろう

団長語録第3弾の文末でも語ったことですが、地元ミニバスケご指導者のエピソードを交えて、もう少し掘り下げて綴ります。

 

3年前まで、娘が小学生時代にお世話になったミニバスケ監督は、50代後半(2012年現在)。

 
「地域で地元の子を育てる」という子供会の中から、ミニバスケを創立された経緯もあり、ミニバスケを教える最大のコンセプトが「子供の人間性の育成」です。

 

メチャクチャ怖いおっちゃんやねんけど、この方の子供への厳しさには…愛があります。
だからこそ、当時自らミニバスケをやりたい!と言った小学2年生だった娘を、この方に預けてみたいと思いました。

 

ファンダメンタル中心の基礎練習、挨拶、礼儀作法には、徹底指導されます。
手は出ないが、カミナリが落ちる時は、地響きが渡るほどドカンと落ちます。その叱ることの大半が、できないプレーがあるかどうかよりも、大半が生活態度のことです。

  

コートの中では、子供ができないことは要求しません。
教えてもいないことを要求する理不尽なことはないですが、できることをやらない子供には、間髪いれずに徹底して叱ります。
できないのではない、やろうとしていないか、人の話を聞いていないかのどちらかだったりするからです。

 

裏の全国大会とも言われる奈良サマキャンで、チームを優勝にも導いた実績があるこの方…いくつになってもバスケへの取り組み姿勢は、真摯で謙虚。
いろいろな人の意見にも耳を傾け、情報交換もし、書物も読み続けられます。
僕のようなバスケ素人の保護者にも「子供たちは何が伝わっていないのか」ということにまでも耳を傾けて下さいます。

 

こうして見い出された監督のバスケスタイルは次のとおり。

「小学生のうちは、体格差は関係なく、全員がオールラウンドプレイヤーを目指すべし。DFは原則マン・ツー・マンのみ。OF組み立ては、原則全員が逃げずにドライブで果敢に割ってレイアップ!」
(練習ではミドルやロングシュートも練習するが、シーズン終盤までは試合で封印…しかし不思議と逃げずにドライブで決められるようになると、ミドルも決まるように…)

 

 

子供達に求めているもの

何よりも、ミニバスケを通じて子供達と接することに「哲学」をお持ちです。

 

それは、ミニバスケを卒団した子供達が、中学・高校・社会人のどの場面でバスケを辞める事になったとしても、その先その子が「どのような魅力的な人間に成るか」を見据えて、その「人間性」の基礎を作るのがミニバスケ指導者の最大の使命だとされる点です。

 

魅力的な人間になれるために必要な「心の強さと人への気配り」

…この感受性を磨くために、小学生のうちから、容赦なく愛の叱責が飛びます。

自ら考え抜いて、責任ある行動がとれる「自律」の育みです。 

 

叱責が多い子には「期待してない奴には叱らへんねん!おまえを期待してるからこそ叱るんやぞ!期待される人であり続けろ!少しずつ人としてステップアップしろ!」とメッセージが込められています。

それを汲み取れるかどうかは、子供の感受性次第なので、これがまた難しいところなのですが…。

 

また、子供達の成長の瞬間は、漏れなく拾って「ナイスプレー!」と声は掛けますが、最大限のホメ言葉「お前ら良くやった」という言葉は、卒団式でも言わない頑固さ。

子供達が自らの意思でやろうとしたこと・やり抜いたことは「認める」姿勢は示しても、最大限の褒め言葉は控えておられます。

なぜなら、ミニバスでの戦績がゴールではないからです。

 

それは中学以降のバスケでも同じ。

卒団した子の中にはジュニアオールスターズ選出・全中も出場して四国のバスケ名門校入学のOGや、ウィンターカップに出場している男子OBもいます。中にはプロになった選手もいます。

しかし監督は、彼らや彼女らにも「よくやった」とは今でも言いません。

 

 全中出場、インターハイ・ウィンターカップ出場を果たすなんて、バスケをやる子には、とんでもなく輝かしい実績ですが…監督は、「それはあくまでもその子の各ステージの目標の一つであって、人生の目的ではない。彼らは褒められることを期待せず、親に感謝すべきであり、私も各ステージごとに『よくやった』という声がけは、子供を勘違いさせるから慎む」とキッパリ。

 

一方、そのOBやOGも、さすがの人柄に育っており、監督のそうした想いも充分わかっているので、監督からの「またお前ら…時間があればミニの子の相手で見本を見せてきてやってくれや…」という声がけが、最大の賛辞であることを理解しています。

そして、彼らが載った月バスは、監督はしっかり購入され、陰ながら目を細めてそのページを大事に眺めておられる事も、周りの人は結構知っていたりします(笑)

 

嘆く親の幼稚化…

しかし…監督の悩みは、この数年、ずっと同じところにあります…


それは、各家庭での子供への親の関わり方。
…つまり、いろんな意味での過保護が絶えないことです
その過保護ぶりが、世代により差はあるようですが、確実に年々増しているとか…。

「可愛い子には旅をさせろ」…細かな失敗を繰り返すことで、たくましい自立心が芽生え、率先して自分で物事を考えるようになり、“気づき”の機会が多くなる。
監督は、とりわけ自立心が芽生えることによる子供の“気づき”を重視されます。

 

“気づき”が多い子が増えると、仲間を大切にし、子供達の中から「試合に勝ちたい」「闘うのは対戦相手ではなく、挫けそうになる自分自身」という気持ちが芽生えます。

しかし、熱心すぎる親の方が勝ちたい気持ちが強い家庭も少なくないみたいで…。

 

「ほら!試合の日が近づいているから、自主練しなさい」
「前の試合のビデオで、自分の悪いところを学習しなさい」
「試合では声を出しなさい!」
そういう指示は監督に言わせると全く不要だと…。

親やコーチ陣に言われてからやるような子では、絶対次に繋がらないし、伸びない。


自ら気づく子は、率先して行動に表れるし、継続と発展がある。
要は、子供達の中から「勝ちたい!」という気持ちが出てこない限り、絶対「自分に勝つ」子は生まれてこない。そういう気持ちを摘んでしまっているのが、こうした親の口出しであると断言されています。


実は、監督ご自身も、チーム創部当初はご自身の「勝ちたい!」という気持ちが子供達よりも勝っていた時期があり、子供達から「勝ちたい!」という気持ちが出てこないうちは、チーム戦績も一向に芳しくなかったという実体験の反省もあるようです。
そうした体験を保護者会でも語って頂いたことがあります。

 

失敗から学ぶ機会を大人が奪うな

その他、試合会場でも熱い親御さんからの次の光景も散見されます…。

 

 「試合時間を考えるとそろそろアップしなさいよ!」

「水筒の中身は補充してあるの?」

「次の対戦相手の試合はきちんと観察しておきなさいよ!」

「次の試合は、しっかり声を出すのよ!」

 

日頃の監督の指導以上に、試合時間以外のそうした親の口出しが、結果として子供達の心の成長を止めることになることに、早く大人が気づかないといけません。

 

「いえ、私は過保護ではありません。厳しく子供に言い聞かせています!」

 

う~ん…そういう親御さんは、厳しい口調であれば過保護ではないと勘違いされているんでしょうね。

口出しし過ぎること自体、既に過保護です。

勝ちたいのは子供さんではなく、親が勝ちたい気持ちが上回っています。

 

アップ不足、水筒の補充忘れ、対戦相手の研究不足…これらによる敗戦は、まず「子供達自身の失敗」から学ばせないといけません。

失敗するからこそ考え抜く機会、次に活かす機会を、周りの大人達が奪ってはいけないのです。

 

ある日、試合に寝坊して遅刻到着した子供の「お母さんが起こしてくれなかったから」の言い訳発言に、監督が「6年生にもなって、日頃親に起こしてもらうとは何事や!バスケ以前の問題や!」と強く叱責したことは象徴的でした。

 

日々の生活だけでなく、バスケに関することも、極力親が子離れしないといけないようですね。

そもそも、小学生ならば、朝は自分で起きるような環境にしないといけません。

 

でも、ついつい、「遅刻させてはいけない」と、親が起こしてしまうんでしょうね。

皮肉にも、我が子がいつまでも自立心がないと嘆く親のほとんどが、子離れしていないケースが多いような気がします。

 

子供の心や意識を変えるには、まずすぐ近くにいる大人…親から変わらなければいけないのかもしれません。

団長語録第3弾で綴った本質と一緒ですね…「まずは大人から変わろう」ということです。

 

これは、保護者一人の意識では駄目なんですね。

保護者会で「ミニバスケの目的は何か…全国大会は目標に過ぎず、目的は子供達の人間形成にある」ということを、確認し合わないと、過保護な親は必ず後からどんどん湧いてきます。

 

そして、大人が変わるためには…「勇気」と「我慢」が必要な気がします…

 

結局「何が正解なのかは、私にも解りません。だけど、自分で気づくこと(仮設を立てる意識)が大切です。そうして自分で気づいた行動というのは自然と継続しますし、練習中の集中力が増すなら、それでエエんと違いますか?(^^)」と監督も仰っていました。

 

子供・親・指導者が同じところを見て歩む三位一体が不可欠ですね。 

 

やはり、それは大人社会での事業活動も一緒なんです。

 

事業活動は、学校で習うようなお勉強のように、決まった答えはありません。

しかし、人に喜ばれ、その対価としてお金を払っていただくことが何かというのは、日々の生活のちょっとしたところにヒントがあったり、それに気づくことで本人のモチベーションに繋がり継続できるようになることも、実はたくさんあったりします。

 

そして監督が求めるものと同じように、見出した事が正解かどうかは、結果に表れると…。

 

結果を求めすぎて、プロセスを間違えるより、人間形成を大事にするためには、プロセスを大事にして、結果がその生活態度や姿勢が全て出るという考えです。

 

娘がお世話になったミニバスケ監督は、学校教員ではない街のおっちゃんですが、ボクらは立派な教育者としてリスペクトしていました。

監督の愛のある叱責には「社会に出たら、自分で答えを見出せ!そのためにバスケを通じて、ハートも鍛えろ!感受性を磨け!…自分に弱い子は、絶対に人には優しくなれない。」というメッセージが込められているような気がしてならないのです…。

 

娘は数年前に卒団しており、僕はもう、地元ミニバスでは、単なるOGの一人の親父ですが、今でも娘の後輩達の様子を観に行っているのは、もしかして監督の言動から僕自身が何かを学び続けたいと思っているからなのかもしれません。

 

さて、僕がつぶやくこと全てが正解とは思っていません。

さまざまな環境や考え方によって、いろんな志向性の組み立てもあるとは思います。

団長がつぶやくからと言って、躍心JAPANの理念として押し付ける気もありません。

あくまでも体験談に基づく個人的に感じる一つの考え方です。

 

ただ、今も娘のバスケ奮闘ぶりを見守る中で、頑張れているのは、ミニバス時代のこうした人間形成の礎を築いて頂いたからということだけは確信しています。

 

機会があれば、保護者会でこの本質を確認するのもイイのではないでしょうか?

少なくとも、娘が最上級生の時、保護者会会長を拝命した際、真っ先に保護者会でこれを確認し合いました。その結果、大いに保護者の態度が好転した事実もあります。 

 

このページトップに戻る>

 

他の団長語録を読む>