ミニバスケは、10名の選手登録がないと、公式戦には出られません。
そして、ミニバスケの精神により、一人の選手は必ずどのクォーターでも構わないので、1クォーター分は、まるまる出場させないといけません。
つまりどのチームにも、一試合で3クォーター分コートに立てる子と、1クォーター分しか試合に出られない子が存在したりして、前者はよく「ベストメンバー」と言われます。もちろん、「チーム競技」ですから、そのメンバー配分は、試合に勝つためのベンチ采配ということになろうかと思います。
そういうわけで、ベストメンバーとそうでない子は、試合に出られる時間は、単純計算すると3倍違います。
そういう状況の中、やはり、どんな子でも、「ベストメンバーに入りたい!」と思うのは当然のことです。
それは、まず目先の目標としては良い事ですし、コート内はすべて実力が試されるという厳しい世界ではありますが、チャンスは平等にあるべきものです。
ところが…時には、このチームの誰よりも自分は自主練習もしているし、マジメに取り組んでいるのに、なかなかベストメンバーに選ばれないと、もどかしい想いをしている子もいるでしょう。
さて、ここからナーバス…いやタブーの領域の話を、敢えてしようと思います。
賛否両論どころか、気を悪くされるオトナの方もおられるのは承知の上で、敢えて述べることにしました。
どれだけ努力しても、なかなかベストメンバーに入れない。
ベストメンバーの子の不甲斐ないプレーや頼りないプレーがあると、自分に任せて欲しいと思うこともある。
でも、自分にはまだ何かが足りないんやろう…
でも何が足りないんやろう???
…出たい。いや、自分がもっとベストメンバーとして活用されてもいいはず…。
もしかして…あのベストメンバーの一人がもしこの場にいなかったら…。
こういう意識の変化って、必ずあると思うんです。
マジメに人一倍努力している子ほど、そういう気持ちが沸々と湧き出てくるのかもしれません。
人間ですから、この想いが強くなりすぎると…
「ベストメンバーの誰かが、病欠になってくれたら…」
「ベストメンバーの誰かが、早めに5ファールで退場になってくれたら…」
そう…つい、そういう願望まで出てきてしまうって…正直オトナでも、過去そんな想いをもった経験があると思うのです。
中には「大事な場面で、自分なんかが出るなんて、どうしよう??」という消極的なの子もいるでしょうが…積極的な子は、本当にそんな場面がきたら「よし!自分の出番!」と思う子も多いでしょう。
そして、時にはコドモは、本来やってはいけない行動に移してしまうこともあります。
ベストメンバーの子をいじめたり…時にはコート以外で怪我をさせるようなことをしてしまったり…。
さて、ココまで読まれた方は、コドモが「そんな小さな考えでどうする!?」「仲間を蹴落としてまで試合にでたところで、チームとして強くなれるはずがないやろ!」と思われる方が大半でしょう。
中には、すぐにそんな根性は叩きなおさないといかん!と思われる人もおられるでしょう。
つまりは、「まったく…人の不幸…ましてや友達の不幸を願う発想そのものが幼稚な考えだ。仲間を傷つけるような行為にまで及ぶなんて、なんて稚拙な行動だ。」ということですね。…はい…正論です。
ところが…やはりソコは相手は小学生。
そんな正論だけを言われても、「オトナに叱られたから」という理由だけで、なかなか子供のお腹にはすんなりと収まりません。むしろ、全く腑に落ちないでしょう。
腑に落ちないのなら、根本的にその思考性はオトナになっても残ったままだったりします。
そもそも、オトナの世界でも、他人の不幸をアテにするそのような志向性や行動って、たくさんありますよね?
時に、とんでもない社会問題や事件になることまで…。
そう、まさにオトナの世界でも、稚拙な行動が後を絶たないわけです。
では、オトナでもなぜそんな稚拙な考えや行動で、不祥事を起こしてしまうのでしょうか?
今まで社会問題になったり事件になっている不祥事を見ていると、本当に稚拙な「ごまかし」または、失敗を隠蔽しようとする「ごまかしの上塗り」みたいなことばかりですよね…。
そう…稚拙な考えが浮かぶ時というのは、大半が「視野が狭くなってしまっている時」のような気がするのです。
オトナでも「視野が狭くなる」と、後々よくよく考えてみると、そんな「ごまかし」なんて、誰が見てもすぐにバレてしまうことばかりの行動をしてしまうことは、たくさんあります。
つまり、それはコドモ達でも同じことが言えるのかもしれないと、最近つくづく思います。
要は、本人は一生懸命すぎて…「視野が狭くなってしまっている」という現象が、そこにはあるのではないかと…。
したがって、皆さんのチーム内、もしくは我が子がもし、他人の不幸を望むような状況になっていることが発覚した時、頭ごなしにいきなり「ダメなものはダメ!」と叱るだけのことにはなっていないでしょうか?
時には、親御さんが頭ごなしに「そんな考えの子に育てた覚えはありません!なんなのアンタは!」と我が子の人間性そのものを否定される場面を見かけることもあります。
これ…コドモがかえって一番傷つくだけなんですよね。
酷い時は「私が叱られたのは、やっぱりあのスタメンの子のせい…」とねじれた方向に逃避しかねません。
つまり、まずは、オトナから少し冷静な対話が必要な気がするんです。
そこで諭すべき話と、オトナが受け入れる姿勢がある気がします。
「視野」を拡げるために諭すべきこととして、例えば僕ならこんな話をします。
「さあ…もし、ベストメンバーの一人が何らかの事情で試合に出られなくて、あなたにチャンスが訪れたとする…。そうしたら今度は、あなたがコート上で結果を求められることになるわけだ。結果は何も得点力ばかりではない。しっかりとつなぐ正確なパス。頑張って飛び込んでいくリバウンドやルーズボール。最後まであきらめずに走り続ける姿勢。それを今度はベンチメンバーの心を納得させるほどのパフォーマンスで見せる『責任』がある。その『責任』がどれほど重いものか、ベストメンバーだった子の気持ちは解る必要がある。そもそも、仲間の不幸を願っている場合なら、責任あるプレーが期待できるとは思わないけどね…。」
…つまり人としての『責任』の話。
「チームとして…さて、君たちは目指すものは何?もし、チームの中でしか闘っていない子が一人でもいるのなら、それは誰が試合に出たって、強いチームにはなれない。どんなに対戦相手と試合しても、一人一人が自分にできる仕事をしっかりして、挫けそうな自分に負けない試合ができるようになるためでしょ?チーム内にライバルがいることは良いことだ。本来ライバルとはお互いを高め合うものであり、足の引っ張り合いをするなら、チームが目指す場所には到底到達しない。」
…つまり『チームとして目指す場所』の話。
もちろん、チーム事情や、お子さん達の地域環境によって、伝える言葉がこれがベストだとは思いません。
でも、まずは狭くなってしまっていた「視野」を拡げるキッカケを作って欲しいと思います。
そのために「コドモ達と真剣に対話をする機会」として頂きたい!
頭ごなしに叱るだけでは、根本的解決にはならないかもしれないのです。
そしてもう一つは…コドモ達にそれを言い聞かせる姿勢ではなく、「素直に受け入れてもらう」ように導く…それが案外とても大切だと思います。
そのためには、「周りの誰かが不幸になれば」とコドモが思ってしまったこと自体、まずはオトナのほうから、「うん…そんな気持ちを持ってしまうのって…解るよ。私も経験がある。」という歩み寄りの姿勢です。
みんな仙人や賢者なワケではありません。
「そんな気持ち、微塵も感じたことないわ!」と言い切られるほうが、少し嘘っぽい印象すら感じます。コドモ達に素直に受け入れてもらうためには、まずオトナのほうが、素直にそんな気持ちは今でも少しどこかに残っている時もあると、認めても良いのかもしれません。
少なくとも…全国に散らばる躍心JAPANの団員の皆さんには、地域のコドモ達、我が子と接する時、オトナとコドモは、お互いを高め合う「対等のパートナー」としての関わりで、心豊かさを育んでいただきたい…そんな想いを、この団長語録に込めました。
2013年6月19日
躍心JAPAN 団長